集団討論議題 その1 終末医療をどう考えますか(医療・福祉職も)

こんにちは。

今回は集団討論のテーマとなるような議題を取り上げたいと思います。では、

日本では高齢者が終末期に食べられなくなると、点滴や経管栄養(鼻チューブ、胃ろう)で水分と栄養が補給されます。本人は何もわからないだけでなく、とても苦しいたんの吸引をされ、床ずれもできます。栄養の管を抜かないように手が縛られることもあります。人生の終わりがこれでよいのでしょうか、自らの意見に理由を付けて述べてください。

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世界各国では終末期は点滴や経管栄養は行っていません。スウェーデンでは、肺炎は高齢者の友達なので抗生剤を使いません。おしっこが出なくても利尿剤に手を出さない。看護師が血圧や尿量を調べることもありません。行わない医療として、このほか昇圧剤、点滴、経管栄養、血液透析、人工呼吸器装着があります。オランダの施設で「なぜ、点滴や経管栄養をしないのか」と宮本夫妻が尋ねると「倫理です」と当然のような言葉が返ってきました。オーストリアでも「食べないのも患者の権利です」と断言されました。欧米で点滴や経管栄養をしない理由として(1)尊厳の尊重、即ち倫理であり(2)本人の意思(3)医療費の抑制の3点を宮本顕二さんは挙げます。日本では、医療保険で緩和医療がガンとエイズに限定されている制約が大きい、と指摘する。

所見

以前に「欧米に寝たきり老人はいない」を読んで、こんなにもヨーロッパと日本の終末期の捉え方が違うんだと衝撃を受けました。それからナラティブホームの佐藤先生の本や「暮らしの中で逝く」も読んでみました。日本では親の年金を自らの生活費やローンの足しとしている人も多くて長生きしてもらわないと困る点や医薬業界の戦略などが薬漬け、寝たきりの背景にあるようです。他方、ヨーロッパのような自然死では本当に老人が安らかに逝かれるようです。私も老後はそんな風に扱ってもらいたいな、と考えてしまいました。もちろんどっちが正でどっちが悪という二者択一の問題では決してありません。考え方の問題です。しかし、今日本に当たり前にある終末医療の考え方を少し穿ってみる、というか改めて客観的にみて人間らしいのかどうか、考えてみることは良いと思います。確かに、日本では本人の意思をどう確認すべきか、どこまで医療を行わないべきかの判断はどうすべきかなど、まずは法整備や指針などが必要になってくるでしょう。

 

暮らしの中で逝く   -その〈理念〉について- (ホームホスピス「かあさんの家」のつくり方《2》)

暮らしの中で逝く -その〈理念〉について- (ホームホスピス「かあさんの家」のつくり方《2》)

 

 

さて、皆さんはどんな人生の終わりを望んでいますか?

皆さんが第一希望の公務員となれますよう、心から祈っています。

乾晶